ロンリー・オル・ナイト

インドネシアの怪魚釣りを夢見るオサーンの奮闘記!

My Back Pages

僕が僕であるために #3

僕の始めた小さなブログは・・・


気合の割には全く何も考えず、YAHOOのIDを持っていたから
単純にYAHOOブログにした。
最初の記事は決めていた。 
大好きなWIGGLE WARTと思った事を書こう!
で、書いてみたんだけど・・・なんかしっくりこない物がある。。。
うまく言えないけど。


考えてみれば、自分で何かを書いて発信するって経験はあまりない。
会社がらみの出張報告くらいじゃないかな。
という訳ですごく新鮮だったのを覚えている。
取り留めもないへんてこりんな記事になった。
今思うと僕の熱意と文章が空回りしてたんだ。


でね、その変な記事にすぐに反応があった!!!


今ならそのラッキーさは凄く解るんだけど、当時は何とも思わなかった。
でも、とてもとても嬉しかったのを思い出す。
なにか世の中の人に認められたような気がしたんだ。
一番最初のコメントはMINOGONさん、次はWIGGLE WARTさん。
MINOGONさんには最初のコメントを記念してルアーを送った。
そんな牧歌的な時代だったね。
WIGGLE WARTさんは今でも付き合いがあるし、ブログも更新されてるよ。
本当に僕はラッキーだったと思う。
特に宣伝もしないままに同志が得られたような気がしたんだ。
ネットの力と不思議な魅力に取りつかれてしまった。


それからは僕は夢中になってブログの記事を書いた。
本当に楽しかったなぁ。


読んでくれるのか、くれないのか?なんてあんまり気にせずに
好きなことや思った事を書いた。
エグリも張りができて嬉しくなったね~ 
こんなの買えたよって一生懸命にUPしたんだ。
本や音楽や、もちろん釣りや釣道具にかんして!
そんな拙い内容でも、なんか概ね好意的に受けとめて貰えて同志がたくさん増えた。


そんな夢中になって書いていたブログを僕は1年後に突如閉鎖する。


ひょんなことで会社の連中にブログの存在がばれ、からかいの対象になったんだ。
僕は自分の一番良心的な所から来たものが、心無い連中に触れられるのが嫌で即刻閉鎖した。
これは今でも腹が立つ!!
あんなゴミみたいな連中に・・・とどす黒い怒りが湧いてくる!
と同時にネット配信というものが自分が受け取って欲しい人だけに届くものでもないと解った瞬間でもあった。


でもね、僕は全てを止める事は出来なかった。
もう生活そのものがブログの記事を中心に動くようになっていたからだ・・・
何もかもを元の何もない生活に戻すなんて考えられなくなっていたんだ。

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そうやって僕はまたブログを始めた。


そのYAHOOブログはブログその物がなくなっちゃったけど、
新たにこちらで未だに続けさせてもらっている。
RUNさん、PLUGGERさをはじめ素敵な仲間がたくさんできた!
タイに行っても、関西に戻ってきてもブログのおかげで釣りを続けていくことが出来ている。
そう、どんな境遇になっても釣りを続けていける、
どんな時でも仲間がいる、そんな境遇になったんだ。


昔々、関西の片田舎で軽い気持ちで始まった僕の釣りは・・・
電子の力を借りて、いつのまにやら他人様の温かい温情を受けて広がっていき、
色んな人が応援してくれる、そんな趣味になった! 
僕が僕であるために・・・


本当にありがたい事だと思う。



「My Back Pages」 脱稿



終わりに・・・
人は誰でも皆、確実にひとつ面白いお話を語れるそうです・・・
それは自伝なんだそうですね。
僕はそれを信じて自分の釣りを通じて何事かを訴えれればと思ってました。
そこで自分の中の釣りの何事かを残せればと「My Back Pages」という書庫を造りました。
もしも、何事かを何方かに伝える事ができれば・・・
そんな素敵な事はないと思っております。


僕が僕であるために #2

なんとなく釣りを復活した・・・

本当に緊張感はないけどそんな感じで僕の第2のバス釣り生活が始まった。
特に感慨深いものもない代わり、肩肘を張らずに自然体で過ごすというのかな、
無理のないところで、楽しみながらやる事が出来るようになったと思う。

それともう一つ! これまでになかった物。

見知らぬルアーや懐かしいルアーや道具を格安で入手する楽しみも新たにできた。
忘れもしない家の近所の初めて入った例の運命のタックルベリー!
ここはね、もう一回僕のバス釣り生活を変える出会いをしてるんだ。


さて、トップや人気ルアーに縛られるでもなく、自由になった僕の釣りスタイル。
いざ始まると道具やルアーの範囲が広すぎて取り留めがない・・・
どうしようかな?って少し悩むものがあった。
そうなると頼りになるのは昔の記憶だ。僕には残念ながら原体験はなかったけど、
釣りの師匠やシライサンから良く昔の話を聞いていたし、聞くのが大好きだった。
確かボックスの隅っこにニジマスカラーのWIGGLE WARTを師匠が持ってて、
「これだけは思い入れがあるから残してんねん」なんて言ってた記憶があった。
ちょうどその頃、復活したSさんとM君親子との釣りをした時にM君の友達が、
現行WIGGLE WAFRTで僕の目の前で大きなバスをバラしたのを見たこともあって、
僕はWIGGLE WARTが欲しくなった。ちょいと捻くれた僕はもちろんOLDだ。
簡単なのも良かった。WIGGLE WARTってリップに書いた奴を探せばいい。
ギリギリ現役でストーム最後の頃の製品が買えてたのも役に立った。
トップだったからチャグバグとかを普通に買ってたしね。


そんなこんなでWIGGLE  WARTを探そうと決めた!


で、当然、家から一番近いタックルベリーに行くことになる。
僕は初めての中古タックル屋でのルアー探しに大いに胸を膨らませて、
期待も大いに込めて例の専用袋に入ったルアーをくって探した。
慣れてなくてボトボト落としたのもすごく覚えている。なんであんなに取りにくい?
やたらと沢山あるように見えたクランクのコーナーでまず怪しげなのを発見!
WIGGLE  WARTって書いててOLDに間違いなさそうだけど・・・
何故かUSAのルアーにローマ字で日本語が書いてあった。
「アメリカ製のはずやのにUGUI♂ってなんじゃい???」
バチモンかな? 聞いたこともないけどまあええか。
そして、もう一つ見つけた物は玉虫のような色の物だった。
「ほう!ええやないかい!かっこええやんけ!」こちらも早速カゴに入れた。
両方ともえらく安くて気兼ねなく買えた。
例え間違ってて外しても気楽ってのが良かった。

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さて、家に帰って買ったルアーを調べた時の驚きと喜びはどう言ったらいいだろう?


バチモンか?と思ったUGUIはなんと!ジャパンスペシャル物で値打ち物だった。
結構なレア物で、郷愁に駆られて探している人が結構いるらしい・・・
また玉虫って思って僕が値打ちがあるって思ったほうが案外と普通だったりした。
このレアな物が超格安で手に入る! 今は生産していない物が手に入る!
でも興味のない人には何も見えない、なにか宝探しをしているような感じ。
この摩訶不思議な世界にのめり込むきっかけとなったんだ。


こんな体験を経て僕はこの世界にどっぷりとハマった。
片っ端から面白そうなルアーや変わった道具を買ってはネットで調べる!
もうね、世の中にこんなに楽しい事はないと思うくらい楽しかった。
またそうして買った物のテストを兼ねての釣りも楽しかった!
釣らなければとか、たくさん釣りたいなんて一切思わなかったね。
ただひたすら、どんな動きなんだろう?どんなアクションなんだろう?
ってそればかり! 釣りと言えるかは別として、そこには純粋な楽しさがあった。
「楽しまねばならぬ」いつの頃からか自分の哲学としてそう思うようになった。
それしか自分のスタイルを表す言葉がなかったから。

大好きだった釣り友の言葉でもあったし。

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やがて格安でお気に入りを買うことを「エグリ」と呼ぶ事を知るようになった頃、
僕には妙な運があり、まだ時代も牧歌的な時代でもあったのもあって・・・
当時は大当たりを連発していた! 本当に当時はすごかったんだよ!!!
でもね、何となく物足りなくなった。ともに価値のわかる仲間が欲しい。
大好きなWIGGLE  WARTを大量にエグッても、OLDへドンをエグッても、
僕は一人きりだった。昔の仲間と道具自慢をしたことが懐かしかった。
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そんな時に前のPCが壊れて買い換えた事もあって、僕は一つの決心をした。
電子の力を借りて僕から何事かを世の中に発信したくなった!
こんなに楽しい世界がある事を教えてくれた先人のブロガーに倣うためにも、
僕のように何かを探すときに少しでも役に立てば良いな、
またこの分野の楽しさが伝われば良いなと、言うのは少し恥ずかしいけど、
けっこう気高い想いでブログなるものをやってみようと思ったんだ。


そうやって僕は小さな小さなブログを始めた。

僕が僕であるために

僕はバス釣りを止めた。


正確に言うと釣りなんてどうでもよくなって気にしなくなった・・・
っていう方が正しい。
新製品が出ても、気候の良い日でも、何もかもに全く反応しなくなった。
何というか本当に燃料を使い切って動かなくなったエンジンみたいな感じ。
下手に末期に止めないように頑張った分だけ燃え尽きて反動が来たような気がする。
そんな状態だったから積極的に道具を始末するほどの気力も残っておらず、
何となく道具は置いてあって、埃を被ってほったらかしになってた。
要するに全く興味が無くなったんだ。


その状態が何年続いたんだろう・・・
数年かな。それすら余り覚えていない。


まあ子供がちょうど小さかったし、下の子も生まれたばかりだったから、
色々としなければならない事もあって何となく暇は潰れていたね。
それに経済的にも何かをする余裕なんて無かったし。
当時は何をしてたんだろ?なんて今では思う。


そんな時の、とてもよく覚えている情景。
今はもう無いけど、当時よく買いに行っていた酒屋の隣がタックルベリーだった。
駐車場は共通でどっちの客が多かったのかは解らない。
僕は一度もタックルベリーには行かず、酒屋ばっかり行っていた。
ある日、いつものように酒を買いに出かけた。
上の子供の手を引いてたのをよく覚えてる。冬だったような気がする。
なぜか・・・タックルベリーに入ってみようと思ったんだ。
なぜだろうね?全く理由なんて覚えていないなぁ。
確か生まれて初めてタックルベリーに入ったはずだよ。


初めて入った店内にちょっと戸惑った。
何というか僕が今まで入ってきた店とだいぶ造りが違う。スカスカだったし。
ルアーが変な袋に入れられて売られてるのも初めて見て新鮮だった。
チビの手を引いてたのもあってジックリとは見ずにざっと眺めただけ。
(今思うとベリーにしては結構な数のルアーがある店だった。)
その時にフト目に留まったルアーがあった。
そんなに昔でもない前、大好きだった「バルサ50」だ。
忘れもしないオールド本物のホワイトコーチのスリンキーだったよ。
へぇ~なんて手に取って見てみたよ。
値段は1,450円位だったかな。中古のくせに高いなぁ~が正直な感想だった。
高くて買う気なんて全く起きなかった。買おうと思う酒の方が安かったしね。
でも、何となく魅かれるものがあった。50でレアでホワイトコーチだったから。
その場でちょっと迷ったんだけど、チビに促されて慌てて店を出た。
・・・心に少しだけくるものがあって、そのスリンキーは別のパケの裏に隠したよ。


さて、そのルアーは妙に気になり・・・
何となくその週いっぱいはその事と売ってるルアーとお店が気になった。
ただ店に行ってどうこうする程では無いんで、家でネットで調べてみたんだ。
ほんの軽い気持ちだったんだけどコレが面白かった!
ホームページが主流だった頃と違い、ブログが全盛になっていて色んなのがあった。
いくつかのサイトを覗いてスリンキーの大雑把な価値を調べたんだ。
どうやら滅多に出てきそうにないらしいぞ、それに値打ち物っぽい。
そうなると現金なもので俄かに欲しくなった。他の人に買われるのが嫌だった。
近所なのですぐに行けばいいんだけど、高いし隠したし買う奴なんていないだろ?
って勝手にタカをくくってのんびり週末に店に行ったんだ。
自分的には凄く思い切って1,500円のルアーを買うつもりで!

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自分では気が付かなかったけど、この時何年振りかで釣りの世界に戻ってたんだ。


当然、そんなルアーは無くなっており、僕は少しガックリした。
拍子抜けしたと言ってもいい。
僕はまだこんなルアーが売れるなんて信じられなかった。
まだ自分を基準に考えていたから。こんな中古なんて買う奴がいるのかい?


で、手持ち無沙汰で店内を回ってみたよ。
コンバットスティックとかメガバスとかいっぱいで高いし見てもツマラナイ。
帰るベ・・・
なんてふと見た木の箱に何やら安そうなロッドがいっぱい刺さっている。
一本をたまたま抜いてみた。
ちょっと変わったバタ臭いデザインのピストルグリップの物。
安っちいなぁ~が第一印象。値段は980円位かなぁ、千円はしなかった。
いかな当時の僕でも安いと思ったよ。
いったい何処のメーカーでどんなモデルなんだ?
ちょっと良い金文字で「NFT」 「Karate Stick」って書いてあった。
空手スティック? どんなセンスやねん?
パッと思い浮かんだのは昔の日本が輸出用に作った安いボロ竿って事だった。
ただ妙に心魅かれる物がある、何も知らないから謎めいてるのも良かった。
マイナー好きの性分もあって買いたくて堪らなくなった。
でも、何かと買わない理由をつけてその場を後にしちゃったんだ。

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で、家に帰って早速にネットで調べてみた。
意外なことにNFTは結構有名で、しかもKarate Stickの評判も悪くない。
20年前の少年達に使われた竿のようだ。そいつも気に入った。
ただね、それよりも調べる途中でヒットしたサイトやブログに強烈に魅かれた。
聞いたこともない古いルアーを取り上げて説明している。
釣れるルアー・レア品・B級珍品ルアー・・・
道具に関しても僕の全く知らないちょっと昔の道具を取り上げて解説していた。
もうね、karate Stickはそっちのけで色々なサイトに見入ったよ。


そこには僕の知らないとても楽しい世界があったんだ。


以前、釣りの師匠が話してくれた「釣りの昔話」が思い浮かんだ。
口下手な彼が生き生きと語るそれはとても楽しく夢中で聞いたこと。
それとこの日に見た色んなサイトがシンクロしたんだ。


慌てて僕はKarate Stickを買いにいった。
当然ながらそいつは売れており、今度は僕はそれをおかしいとは思わなかった。
ただ、残念な気持ちだけが残って悔しいと思ったよ。
どうしてもKarate Stickが欲しかった。
それを入手することは自分の今まで知らなかった世界に入る事を意味したから。
なんかね、これまでと違うただひたすら楽しいだけのバスの世界がありそうだった。


Karate Stickはその後オークションで凄く安い値で入手した。
今までの自分の感覚だと笑っちゃう位の値段だった。
今までの自分であれば絶対使わなかったろう的なブランドとグレードの竿。
でも良いのだ。これで良いのだ。僕は至極満足したし大変楽しかった。


こうして僕はいつのまにやらバス釣りを再開していた。

失くした1/2

生まれ故郷の関西で始まった僕のバス釣りは、
転職で来ざるを得なかった関東の壁もなんとか乗り越え、
それまでは決して得ることの出来なかった、
貴重な”仲間”という嬉しいおまけまでついて続けることができた。
霞ヶ浦にも行った。
新利根にも行った。
千葉の野池にも行った。
ハチローにも行った。
そんな人生で一番釣りをしたであろう年の翌年の事だ。

僕はバス釣りを止めようとしていた・・・

実はその年に長女が生まれていた。
子供が生まれると色々な事が変わっていった。
小さな子供がいると中々釣りには行けなくなる。
ただきっかけは子供だったけど、理由は他にも色々あった。

まずトップウォーターに絶望してきた事。

トップしか知らないから、僕のキャリアは全てトップウォーターだ。
昔は楽しかった制約が段々と重荷になってきた。
加えて関東のフィールドでは面白みがまるでない。
投げる楽しみも、釣る楽しみも極端って言っていいくらい少ない。
流石に飽きてきたよ・・・
また道具もずっと同じで変わり映えしない。
基本的に高いから増えていかない、子供が出来ると余計買えなくなった。
欲しいと思うものは高かったし、まだ楽には手に入らなかった。
無理をして買ったとしても、すぐに飽きてしまう。
なんせ道具もワンパターンだから大きな変化は無いんだ。
フィールドもマナーの悪いのがいたし、まだ人も多かった。
一度気にしだすと人の多さにも嫌気がさしてきた。
リリース禁止とかバス釣りも犯罪者のような気にさせるし・・・
そんな環境でトップウォーターなんてやるのかい?

急にね、何をやっても楽しいって状態から、
何をやってもつまらないという状態になった。

とどめは引っ越しだった。
子供が歩けるようになると公園が必要になった。
多摩川のすぐ傍だけど子供向けという感じではないし、
そもそも家の近所には小さな子供が少なかった。
ちょうどその頃に社宅の期限が来たのもあって、
探していた嫁の実家の近所で手頃な物件にも恵まれて
思い切ってその家を買い、引っ越しをしたんだ。
そして、それによってSさんとの釣りは行けなくなった。

一人の釣行なんて習慣は当時なかったからこれは効いた。

このままでは釣りを止めざるを得なくなるんじゃ?
何となく危機感というか残念感はまだ少しあって、
色々と”楽しもう”と努力してみたんだ。
渡辺つり具さんに通って半常連っぽくなってみたり・・・
当時流行った道楽にかぶれてみたり・・・
大人気だったメガバスにまで手を出してみた・・・
でもどれも長続きせず、対象がコロコロ変わるたびに
全て売り払って次への投資の為に使った。
そして、その後には何とも言えない苦しさが残った。
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ワームやクランクなんかにも手を出してみた。
これは結構自分的には勇気のいる決断ではあった。
そして関東で一人での釣行を始めてみた。
やってみると結構抵抗があったね。
亀山湖にも行ってみた。
河口湖にも行ってみた。
この時代はトップなんて一切やっていない。
それなりに楽しかったけど・・・結局、最後は苦しいんだ。
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やがて渋滞がおっくうで、釣り場に行くことも嫌になって行かなくなり、
道具は高くて買えず、と言うよりもそもそも欲しい物が見当たらない。
釣りに行かない、道具もどうでもいい・・・
これってもう終わってるんじゃないかね?
釣り禁、リリ禁、バス釣りの犯罪的な位置づけもとても効いた。
様々な理由が全て効くかたちで僕はバス釣りへの情熱が無くなっていった。
バスブーム・バルサ50・フローター・転職・関東・・・
色々な問題を乗り越えてきたつもりだったけど、
まさか自分に情熱が無くなるなんて思ってもみなかった。


こうして僕はバス釣りを止めてしまったんだ。

ロックス・オフ ROCKS OFF!!!

 動いちゃいないのは寝てる時だけ・・・
止まってるのは夢見てる時だけ・・・
By ローリングストーンズ 「ロックス・オフ」 1972年
 
釣ってないのは寝てる時だけ・・・
浮いてないのは夢見てる時だけ・・・
By 八郎潟のリトルN 2001年夏
 
 
「八郎潟が調子いいらしい!!」
そんな噂をSさん親子が聞きつけて来た。
へぇ~って感じだったけど、ハチローなんて秋田だし、
何百キロもあるし、現実的じゃないよな!なんて思ったんだけど、
Sさん親子にはさほどでもないらしい
「ちょうど夏休みもあるし、行ってみるべぇ~」
こんなノリで憧れのハチロー行きが決まった。
 
さて、あまりに簡単に行くのが決まったのは良いけど準備は??
結構大事になるんじゃ?なんて思ったんだけど、Sさん達は全然平気だった。
寝袋を持ってこいという。他には特に無いそうだ!?
大丈夫なのかな?ってこっちが心配する位に気軽だった・・・
結局、僕がした準備といえば、ちょうどオーダー中だった渡辺つり具さんへ
事情を話して、無理矢理に特急で仕上げてもらった位だった!
カスタム・ローハイド!!
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出発前日に仕上がったコイツはとっても良くてご機嫌だった!
このできた竿を見ていると、ようやく気分が盛り上がってきた!
デビューがハチローなんていいねぇ~
僕は関西人だから感覚的に秋田なんて日本で一番遠い所なんだな。
どんな所なんだろ? まだ見ぬ日本でも有数のバスポンドに想いをはせたよ。
 
 
さて、いよいよ出発の日。
全員が定時で上がり、そのまま自宅で待機。
Sさん親子が順番に家を回って拾ってくれる手はずとなっていた。
夜通し走って、翌日から釣りを開始という魂胆だ。
僕は着替えを少々と寝袋と竿を2本、フローターを持って乗り込んだ。
僕の家が最後だったから流石にいつもよりはギュウギュウだった。
全員がハチローは初めてだったんで、やっぱり興奮していた。
皆でワイワイ口々に喋りながら車を交代して運転したよ。
でも飛ばしに飛ばしても、着くのは明け方・・・本当に八郎潟は遠かった。
 
 
さて、徹夜明けのショボショボした目で見た八郎潟。
夢にまで見たハチローはいつもの新利根と変わらないように見えた・・・
葦ばっかりや・・・ちょっとガッカリしたのを覚えている。
でも空気は清々しく、生命感というのか、オーラというのかが感じられた。
コレハ、ツレソウダ!!!!
もう順番も何もない、てんでバラバラに我先に準備をして釣りを開始した。
 
 
でも最初の釣り場では何故か余り上手くいかなかった。
関東と同じというか、反応の無さではそれ以上だったかもしれない・・・
でもね、早々に移動して行った次からのポイント。
もうそこからはパラダイスだった。
僕達が釣っていた関西や、まして普段釣ってる関東のバスはスレ切っていて、
教科書通りというのかな、まずそんなポイントでは反応すら期待できない。

 
 
でも、ハチローのパラダイスは違った・・・そこら中にあったけど。
 
 
葦がまばらに生えて、杭が何本もある、そんな絵に書いたようなポイントでも、
沈んだ岩があって、横に木が倒れているような絵に書いたようなポイントでも、
ごく普通の水門でも、オーバーハングでも、はたまた普通の葦際でも、

そう、どこに投げても良い所であればバコっと出た。

釣れるバスは判で押したように30後半~40前半の固太りのバス。
余りジャンプせず、グイグイと潜る、大きさの割に引きは強かった。
素直に教科書通りに反応するバスが可愛いというか・・・
もうね、笑いが止まらないというか、楽しくて楽しくて仕方がない。
 

とある雰囲気は北浦にそっくりやなぁ~なんてSさんと笑った場所、
葦がまばらに点在する北浦をもうちょっと自然豊かにした感じの所で、
15m位離れた沖から護岸の岸に向かって何の気なしに投げた。
ルアーは当時、流行りに流行っていた「ビッグバド」
バスプロがそれで優勝して、マル秘チューンとかで大流行したものだ。
むろん僕もヒートン直付けにしてある。
何となく良い所に落ちたそいつにボコっと40UPが出た。
おお! ビッグバドで初めて釣れた!なんて覚えてる。
で、出ないだろうなぁ~なんて半信半疑でもう一度投げてみたんだ。
なんと動き出してカシャカシャ言い出した瞬間にまたバコっと40UPが出た!
もうね、ビックリしたね。
・・・だからか、なにか普通と違うものを感じて続けて投げてみたよ。
6投6匹だったか、7投7匹だったか忘れてしまったけど、
なんせ投げた数に対して全部1発で出た!! もうね声も出ない・・・
こうなれば何匹釣れるかやってみよう!とムキなって思ったときに
陸っパリのバサーが来て!?僕の小さなパラダイスは終了した・・・
未だにとても残念であるし、未だこの自己記録は破られていない。
もう一生こんな事はないんじゃないかな。
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ビックリと言えばこんな事もあった。
関東で僕はライズを見たことがほとんどない。
ハチローでは頻繁に見ることになった。しかも昼間とかだったりする。
バシャバシャ!って葦の奥でいってたり、怪しげに葦が動いていたりするんだ。
余りに煩いんで、冗談で一度竿を突っ込んでルアーをポトンって落としてみた。
落とした本当の瞬間!バシャ!!ってバスが出て水しぶきが上がった。
「うわっなんじゃ!!」って思わずのけぞった、
その竿の先20cm位にバスがぶら下がっていた・・・
バスが動きがのろく、捕食が下手っていう人がいるけど嘘だと思う。
活性が高ければ何でもありなんだとその時に思った。
 
 
仲間うち4人で行ったんだけど、全員が似たような体験をし、
バスと同じく全員の活性がマックスまで上がった。
もともとおかしな位にバス釣りに夢中になるSさん親子は凄かった。
明け方から夜辺りが見えなくなるまで・・・
本当に朝から晩まで釣りをするんだ。
このキャラバンのリーダーはSさんだったから、当然ながら僕達も同じだ。
丸々3日間、朝も昼も夜もご飯はコンビニ弁当。
3日間、歯も磨かず、髭もそらず、顔も洗わず、風呂は1日だけ健康ランド。
風呂浴びてビールかと思いきや、またウェーダー履いて水面へ。。。
もう何度もフローターの上で居眠りしたよ・・・
夜は秋田の美味い飯と酒が気になって仕方がない心を押し殺し・・・
岸辺のテントで缶ビールを飲んで4人でイビキかいて雑魚寝だ。
もうね、ついて行けなくなった。。。途中からちっとも楽しくない。
ほとほと嫌になって、Sさんに食って掛かったことがあった。
そんなにしてまで釣りをして、楽しいのか?って聞いたんだ。
大げさでなく心底不思議そうな顔でSさんが言った顔と言葉が忘れれない。
「楽しいよ~ その為に来たんだろ・・・お前は楽しくないのかい?」
もうね、そう言われるとグウの音も出なかった。
 
 
昔からバイトや仕事が忙しくなると、頭の中で奏でる曲があった。
ローリングストーンズの素敵な「ロックス・オフ」だ。
この歌詞の「動いちゃいないのは寝てる時だけ・・・」ってところが
曲調とあいまってエンドレスでぐるぐる回るんだ。
釣りの時に、思い浮かんだのは後にも先にもこの時だけだ。
本当に苦しかった。。。
 
 
さて、この3日間の強化合宿のような釣りは、3日目の夜まで釣りきり、
また徹夜で関東に戻って終了した。
夜明けの自宅で降ろされた時、「また行こうな!」なんて声をかけられて
寒気がしたのを覚えているよ・・・
 
 
さて、あれから20年近くがたった。
その間に実はもう一度ハチローには行っているんだ。
でもね、八郎潟には行かなかった。もう釣れないとかであんなトコまで行って
地元の野池で釣りをした(素晴らしい所ではあったが・・・)
Sさんも歳とったんだと思ったのは、夜は健康ランドで宿泊!?だった事。
不思議となんかホッとしたような、寂しいような気持になった。
 
Sさんは定年となり再雇用となったが少し元気がない。
ハチローも僕もSさんも、他の仲間も変わってしまったと思う。
でも昔の感じで1日位なら以前の釣りに付き合ってもいいな・・・
絶対に叶わないけど最近またそう思うようになった。
 
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プロフィール

リトルN

80年代の音楽、バス釣り、映画、道具が大好きなオッサンです。
そしてインドネシア赴任がスタート! 東南アジアの怪魚釣りを夢見ています!

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